今 私は、「保育通信」 4月号、5月号で、ある京都大学名誉教授と、論争を展開しています。
始まりは「保育通信」 3月号の中で、
「なぜ今、子どもは学校で学ばなければならないのか?」
という広報部の問いに、教授の
「子どもは未来の大人だからでしょう」
という回答に、私はちょっと違和感を持ったからです。
そこで私は、社会福祉法人 童心会 の保育理念を持って反論しました。
「子どもの学ぶ心」というのは、子どもたちが毎日毎日の生活を通して、イキイキ、ワクワク、ハラハラ、ドキドキを感じながら、生きている喜びや楽しみを身につけるためにくり返し、「人間としての生きる姿勢」を学びながら育ち、そして育てながら学び続け成長していくのではないでしょうか?
と、私見を述べさせて頂きました。
そして、私たちが臨床保育の現場で子どもたちに教えられた「生きる姿勢」とは、興味・関心・好奇心・意欲・意志であると伝えました。
「子どもの学ぶ心」とは「0才児からの愛された育ち」と生理的欲求とが満たされて、子どもは社会的関係性の中で育つものであると確信しています。
子どもの日々の実態を臨床保育の現場で見た時に、現在、脳科学でも言われている「ミラーリング」、「ミラーニューロン」という言葉で立証されています。
しかし先生はまた、子どもは親が「育てる」もの、親に「育てられるもの」、という捉え方をしています。
また「教える―学ぶ」という考え方も、学ぶとは先生が「教える」もの、先生に「教えられるもの」、と考えておられるようです。
社会福祉法人 童心会 の保育は、子どもは「教えなくとも、自ら学ぶ」という人間観の上に立っています。
だから子どもは、「育つ」もの 、「育ちあうもの」。
子どもは「学ぶ」もの 、「学びあうもの」、と考えています。
さて、皆さんのお考えを教えてください!
最後に先生は、今回の質問者(柏さかさい保育園の園長 中山勲)の誤解と称して、
『「教えなくとも、子どもは自ら学ぶ」というご自分の考えから、私の議論の展開に疑問を持たれたように思います』
と書かれていました。
私は、最近の脳科学の進化には 目を見張るものがあると驚いている者の一人です。
社会福祉法人 童心会の私たちには、私たちの保育を裏づけてくれる新しい科学です。
皆様もご一緒に考えてみて下さい!
中山 勲 論 ○ 子どもは「育つ」 「育ちあうもの」
○ 子どもは「学ぶ」 「学びあうもの」
名誉教授 論 ○ 親が 「育てる」 「育てられるもの」
○ 学ぶとは 「教える」 「教えられるもの」
平成 28 年 5月 吉日
社会福祉法人 童心会
理事長 中山 勲