思いやりと生きる力

わたしを ぎゅっとして わたしを 見つめて わたしを 聞いて わたしを 呼んで

H29_06【「言葉の一方通行」 ~心はどうして育つの?~】

親は子供が飲み物をこぼすと 「なんでこぼすの!」 と叱り、水たまりに入ると「なんで水たまりに入るの!」 と叱ります。

 

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子どもは、失敗しても体験を通して学習したいと思っているのに、親は自分の都合でさせないように、「やっちゃダメ!」 という禁止用語が多いようです。

また子どもが転んで 「痛い~」 と泣いている時に、「痛かったネー」 と痛みの感情によりそうこともしないで、「大丈夫、痛くない!」 と平気で言う大人は、私の知る限りとても多いようです。

私は次のようなお話をよくします。

人間は、これだけ複雑に刺激を受容できる五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を通して 見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触るなどの感覚器官は持っています。

しかし物事に対して生じる快 ・不快、喜怒哀楽などの気持ち、感情には、専用の器官はないのです。

では、心はどのように育つのですか?

近藤卓氏は「乳幼児期から育む自尊感情 ~生きる力 ・乗りこえる力~」 の中で、アメリカの心理学者 ウィリアム・ジェームズが、1890年に発表した「心理学原理」 の中では、基本的自尊感情には言及されていなかったと述べています。

当時のアメリカ社会では、みんなが一緒に食事をして、家事労働して、地域社会にかかわるような生活をしていた為、 自分の存在が承認されていたのです。

だから昔の日本の社会でも、大家族やご近所、子ども社会や地域社会という教育力の中で育てられてきたから、愛された育ちを通して、自分を大切な存在として尊重するという、基本的自尊感情 が身につけられていたのでしょう。

「心の育ち」という問いかけに対して、その鍵として挙げたのは 「共有体験」 だと言います。

「共有体験」とは、信頼できる他者と五感を通した体験を共にし、その時、その場でともに感じ合うこと。

すなわち「体験の共有」と「感情の共有」の事だというのです。 

しかし、現代の生活の中では、誰かと一緒に体験することが少なくなっているという事に、私たちは気づかなければなりません。

とりわけ、身近な信頼できる親や大人、先生たちとの間で、幼い頃から繰り返し行われるべき 「体験の共有」 と 「感情の共有」 が不足していることが問題であると、私たち臨床保育の現場ではいつも考えさせられています。

だから (社福)童心会の保育園では、「何で水たまりに入るの!」 とは言いません。

次のような対応をします。

「『スプリンクラーを出してみると、すみれ以上の子どもたちは怖がることなく水に近づいて遊び始めました。 

ももぐみさんは、その様子を少し見ていて近づいて遊ぶ子、怖がって離れて遊ぶ子、様々な様子が見られました。

ひまわり・さくらの子どもたちはスプリンクラーと遊んで、気持ちよさそうに濡れて遊びました。

そのあと、出来た水たまりを子どもたちは見逃すはずはありません。たくさんのシェフやパティシェが生まれました!』

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クラスの活動を知らせるホワイトボードに、この言葉が書いてあり、子どもたちの活動を見守る保育士の視点に感心させられました。」

 

と、牛久みらい保育園の高間園長の日報・メッセージにはこのように書かれ、私も職員の指導に生かそうと思いました。

 

平成 29 年 6月 吉日

社会福祉法人 童心会

理事長  中山 勲