思いやりと生きる力

わたしを ぎゅっとして わたしを 見つめて わたしを 聞いて わたしを 呼んで

〔 お正月 日々に新 又日に新 〕

 今年私は、年賀状に「新・日々新又日新」という言葉を書き、贈りました。
 禅語で殷の湯王という人の言葉だそうです。「毎朝顔を洗うがごとく、 毎日新しい心で、何にも持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい」即ち昨日のことは忘れて、新しい心で今日を迎えていくことが道であり、それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方である、という意味なのだそうです。


 私は、新年を迎えた朝、改めてイギリスの精神医学者J ・ボルビィ( 1907 年~ 1990 年)の「アタッチメント(愛着)の形成」に思いを馳せてみました。
 私たちにとっては神話に近かった学説が「アタッチメントをめぐる誤解」だというのです。
 即ち特定の養育者(母親的な役割をする者)と子どもとの二者間で形成されることを前提としてきたことは誤りだというのです。
 ヒトは本来、血縁だけでなく非血縁(ご近所や育ての親)の人たちが共同で子育てを行ってきた”アロマザリング=共同養育”という見方が人類学や霊長類学を中心に示されているというのです。
     〔 明和政子( 2019 ヒトの発達の謎を解く ちくま新書
 著書はさらに続けます。複数のヒトとアタッチメントを形成し、その多様な経験を統合していくことこそが、より安定した心理、社会的適応を可能にするという考え方は、ヒトは共同養育により進化してきたという見方と一致します。
 むずかしくなりましたが、昔から三歳までは母親が子育てに専念するべきとずっと言われてきた「三歳児神話」は誤った考え方であるということです。

 思い返せば日本での子育て もつい最近まで、「三世代にわたる大家族」が同居しながら子育てに関わり 、生活していたことを思い出します。そこには”家風や家訓”がしっかりありました。


 大人数の兄弟姉妹、私の家では9人でした。家族の人たち全員が養育者として大活躍をしていた時代でした。子どもたちも養育者の一人になっていたのです。
 それらが失われた今、「三世代にわたる大家族」に変わる所として保育所がなるべきであると私たちは確信しているのです。
 0歳から6歳までの子どもたちが兄弟姉妹になり、小学生、中学生、高校生、またインターンシップのお勉強に来てくれるお兄さん、お姉さんたちにも「未来の親」になるための子育ての貴重な経験の場になっているからです。
 前にも書いた共同での子育ての場(村づくり)は、今では保育所でなければ出来ないのです。その園では、育ての親としての保育者仲間、生みの親やご近所の育ての親、在園児や卒園児の子どもたち、ご近所の祖父母も含めて皆さん全員が村人であり養育者であり大家族の一員になっているのです。
 私たち(社福)童心会の一つの園では500名~800名の村になっています。
このことを私は「保育所から始める地域コミュニティ創り」というテーマで研究を重ねて発表したことがあります。その中でも書いたのですが、「人間としての生きる基盤」は次の通りになります。


1.愛された育ち=子どもの権利=生命の保持
2.だきしめ言葉=養育者の義務=情緒の安定


 最近のアタッチメント形成の新しいエビデンス(科学的根拠)は私たちの保育理論を
次のように実証してくれています。
 そして「新しいアタッチメント形成」のための三つのタイプの身体接触を次のように説明しています。


1.刺激的接触=つつくやゆする、高い高いなど乳児の姿勢を変える、手足をのばす
2.道具的接触=口を拭く、おもちゃを持たせる、道具を使う
3.   情愛的接触=抱きしめる、撫でる、キスをする、触れる (身体が持続的にくっついている状態


 これらの中で特に情愛的接触は、乳児の学習動機を高め、主体的な行動を引き出し、興味・関心を高め、それを積極的に探索しようとし認知発達、頭の良い子に育てるのだそうです。


(社福)童心会の保育方針


1.わたしを ぎゅっとして    3 .わたしを 聞いて
2.わたしを 見つめて           4 .わたしを 呼んで


 ようやく私たち(社福)童心会の人間教育の理念を脳神経科学のエビデンスが実証してくれたのです。
 改めて新年を迎えたこのお正月に私たちは確信を持って、信念の旗を掲げて、次の世代に生きる子どもたちのために保護者の皆さまを同志として迎え「人間教育の道」を邁進していきます。
 今年も志を同じくして、心からなるご協力をお願いいたします。

 

 

令和2年1月 吉日
社会福祉法人童心会
理事長 中山 勲