思いやりと生きる力

わたしを ぎゅっとして わたしを 見つめて わたしを 聞いて わたしを 呼んで

〔 泣く子の手当は だきしめ言葉 〕 ~新しい母性・父性感情の考え方

 ある日の朝、A 子さんが泣きながら登園してきました。
 私はすぐに担任に知らせ「泣く子の手当はだきしめ言葉ですよ!」と手当の仕方を伝えました。

 

 私たちは戦後70有余年の時間を経て「三世代にわたる世代間連鎖」から多様な家族の形態、そこから生れた子どもへの虐待、母親のうつ、歯止めのきかない少子化現象など子どもにまつわる問題は深刻さを増すばかりです。


 子ども達も苦しんでいます。
 いじめ、不登校、不安障害、引きこもり、抑うつ、薬物依存や自殺など、自分と他者の心を理解することに苦しみ、対人関係に起因する心の問題を抱える子どもたちの数は増え続けるばかりです。


 今の時代を振り返ってみると、子どもだけが苦しんでいるのでもなく、保護者や子育て仲間たちだけでもなく、保育者仲間たちまでも苦しんでいる人たちが増えているような気がします、と認知神経科学の先生たちも指摘しています。


 このような現状を見ていると、昔からいわれてきた母性(母性が持っているとされている、母親としての本能や性質。また、母親として子を生み育てる機能・大辞林より)をどのように解釈したら良いのでしょうか。


 ブリタニカ国際大百科事典では、次のように書いてあります。

 「母性は、本能的に母性に備わっているものではなく、一つの文化的、社会的特性である。したがって母性はその女性の人間形成過程、とりわけ3~4歳ころの母親の関わりによって個人差がある(以下略)」

 

 「ヒトの発達の謎を解く」(比較認知発達科学者明和政子・ちくま新書 の本の中で、「ヒトは胎生期から学びはじめヒトが獲得してきた生存戦略は、養育してくれる可能性のある対象を生後すぐに見抜き、その関心をできるだけ長時間引いて養育を受ける機会を多く得ることだったと考えられます。」と著者は言っています。


 私は保育所保健だより3月号に〔たくさんの養育者にかこまれた 幸せな人生の始まり 〕というコメントを書きました。

 まだ狩猟採集型の文化を持つアフリカのアカ地区では、母親を主な養育者としつつも、およそご近所の20名位の人たちが子どもの主な養育に関わり、そして実際には母親を含む5~6人にしぼられていくそうです。
 ヒトは本来血縁だけでなく、非血縁を含む養育者が共同で子育てを行ってきた(アロマザリング共同養育)という見方が歴史的に伝えられています。
日本の1950年代頃の 子育て環境も”助けあって生きる”このような社会だったはずです。
 だから私たち(社福)童心会の人間教育(Care and Education)「保育所から始めるヒト創り」は次のようになりました。

 

童心会の保育方針


・わたしをぎゅっとして
・わたしを見つめて
・わたしを聞いて
・わたしを呼んで


 このようなふれあいが、乳児の学習動機を高め、主体的な行動を引き出すのは、養育者からの情愛的接触なのです。
 私たち(社福)童心会の仲間たちは一日7回以上「だきしめ言葉」を伝えあい、実践し、励ましあっています。
 それは養育者や他者と体を触れ合わせる経験が、発達初期の認知発達と情動と感情の学習(心身の健康)につながっていることを確信していたからです。


 最後に私は、母性は女性の人間形成過程、とりわけ3~4歳頃の母親とのかかわりによって個人差がある、という言葉が気にかかりました。
 柏しんとみ保育園に昨年の4月ばら組(0歳児)に入園してきたB子さん(現1歳10ヶ月)の家にポコちゃんという赤ちゃん人形が生れました。B子さんは毎日毎日お家で小さなお母さんとしてぽこちゃんの胸を「トントン・ネンネ」といいながらあやしているのだそうです。ママは喜んで「先生B ちゃんにはもう母性感情が芽生えているのですね!」とうれしそうにお話ししていったそうです。
 私たちの訓(おしえ)、「愛された育ち・だきしめ言葉」を”見て倣い、観せて学ぶ”を味わった人たちだけが身につけられる母性・父性感情が生れるものだ、と私は確信しました。
 改めて「見て倣い、聴いて習う」ということが人間の生きるみちしるべ(道標)であることを知り、すべての出来事を年齢だけでなく歴史的な視野に立って一つの文化的・社会的特性として見つめ、伝え続けていかなければならないと私は強く 思い知らされました。


        令和2年3月 吉日
        社会福祉法人童心会

        理事長 中山 勲